「幸せは、当たり前の日々の中に隠れている」
空梅雨を思わせる天候が続いておりますが、皆様、体調を崩されてはいませんか?
多忙な中、不条理があふれかえる日常に、心がささくれ立っている人も多い今日この頃…
そんなわけで、心にしみる(笑)詩を皆様にお届けすることにしました。
単なる思い付きでの企画ですので、ご意見、苦情は受け付けません。
記念すべき第一回目は(はたして2回目はあるのか)悪性腫瘍のため右足を切断し、32歳の若さで亡くなられた医師、井村清さんの「あたりまえ」という詩をご紹介します。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という映画をご存知の方は耳にしたことがあるしれません。
あたりまえ
作:井村清
こんなにすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝が来る
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなあたりまえのことを、みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのはそれを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
次回の投稿は未定です
投稿者:凡骨看護師
2019年6月24日
コメントを残す